独り暮らしで猫を飼う事
こんばんは。
家族と暮らす事について書きたいと思います。
慢性腎不全の話ではないです。すいません。
独り暮らしで動物を飼ってる事について罪悪感を持ってる人とお話できたらと思います。
生活スタイルって長年生きていると変わりますよね。
はじめはみんな子どもです。
親がいたり、兄弟がいたり、祖父母がいたり。
そこに小鳥がいたり、犬がいたり、猫がいたり。
たとえ初めからそれらが側にいなくても、みんな子どもで産まれてきます。
周りに愛情を傾けるモノがいて、愛情をかけられるモノがいて。
それが当たり前の人もいれば、そうでない人もいる。
愛情のかけ方がわからない事もあるでしょう。接し方がわかならい。そんな風に考える事もあると思います。
大人になると与えたものは覚えていても、生きるので精一杯になり、与えられたモノがだんだんとわからなくなって麻痺してくる事もあります。
辛いから何かに触れていたい
そう思った時、愛する人に触れたい。友達に会いたい。家族に会いたい。
優しくしてくれる何かに触れたい。
優しくできるモノに触れたい。
そう思う事はいけない事ではないと思います。
その何かが猫であったり犬であったり、そういう事もあっていいのではないでしょうか。
もちろん彼らはお金を持っていませんから、養わなくてはなりませんし、ずっと孤独に置いておくわけには行きません。
長時間労働で終電間際に寝るために帰る。そんな生活をしているのならば、生き物と生活するのは難しいです。
愛情を与え、また得るのも難しいと思います。
でも思うんです。そんな生活を続けている、続けなければならない生き方は動物と、いえ、人間とさえずっと愛し愛されて生きるのは難しいんじゃないかって。
もちろん家族や自分の愛しい人があなたの生き方をそれでいいというのなら、そういう生き方を選んでもいいと思うんですよ。皆自由なのですから。
ただ今回は動物と暮らすというお話です。
モノを言わぬ、家族とのお話。
私たちはそういう家族と1対1で対話し暮らす生き方を選んだ。
対話ができない相手を思い、生きる事。
与える愛のみです。一方通行かもしれない。
自分の生き方そのものと、対話を続けるという事だと私は思っています。
どうでしょうか。
命を思う事は自分を思う事
昔地方に住んでいるときに、猫を数日ワンルームに閉じ込めて放置する人と会いました。その人は猫を愛していると言いました。
その人の猫に会った時、私はいつの間にか崩れ落ちて泣いていました。
私の生き方とその方の生き方とが、交わらないと感じた瞬間だったのだと思います。
今でも思い出すと苦しくなります。
私も何かの拍子で、そういう生き方をいつの間にか選んでしまう事もあるかもしれません。生活を保証するものは何もない。それは、家族といても、一人でいても何も変わらないと思います。生きるという事はそういう出来事と背中合わせであることを忘れてはいけないんです。
だから頑張って貯金をし、財布に猫を飼っている事、知り合いの電話番号を書いてメモを入れています。そういう話もつけています。ペット信託もありますね。
私はバカなのでそういう事しかいなくなった時に彼女を守る手段を思いつかない。
もちろん私が長生きするのが一番なんですけどね。
偉そうですね。すいません。
あなたの傍で眠るその子の思い
あなたにはどう見えますか?
苦しそうですか?
悲しそうですか?
あなたは悲しいですか?
苦しくないですか?
楽しそうならいいのです。
「独り暮らしで猫を飼っています。愛しいです。猫バカです!」
そう私たちは胸を張って生きていけばいいと思います。